受け継いでいく・・・

勤務をおえ、帰宅途中に見た日暈。幻想的です。


今日は朝からずっと鼻をじゅるじゅる言わせてお仕事していました。

たぶん・・昨夜、たくさん泣いて寝たから・・だと思います。

あまり眠れなくて、何度も目が覚めました。


一昨日のお誕生日にいただいたお祝いメッセージに1つづつお返事していたら、
あるメールを見落としていたことに気が付きました。

それは出身大学の同窓会メールで、恩師である中西睦子先生の訃報のお知らせでした。

その知らせに・・・思わず涙があふれました。

もう20年以上お会いしていないのに、ひどく悲しんでいる自分に驚きました。

ラベンダーの精油で何度も深呼吸して、お風呂にもたっぷり入れて・・・
こんなにも衝撃をうけている自分を大切に・・・受け容れました。

そして私たちには中西先生の遺志が・・・確かに受け継がれているのだと思いました。


私が入学した当時は、看護の4年制大学は国内に片手で数える程もありませんでした。

まだまだナースの社会的地位は低くて、
患者様を中心にしたとき、医療の現場で医師と対等な立場で看護の視点からモノを言えるナースを育てるには、4年制にすることが必須なのだと先生方は何度も仰っていました。

先生方の想い・・・自立したナースになる意義・・・ひしひしと感じ続けた4年間でした。

その間、耳にタコができるくらい聞かされたのが「ホリスティック」という言葉です。

患者様を患者としてでなく、病を持った「人」としてみること・・・
身体的・心理的・社会的・スピリチュアル的に、「全体的に」とらえることがナースの役割なのだと・・・
在学中、徹底的に教えていただきました。

ホリスティックにとらえ続けてこそ、血圧を測るという行為1つにも
その患者様にはどんな時に、どんな姿勢で、何を優先しながら、どんな声掛けをして行うのかが現れるのだ。。と。

そして答えを求めるのでなく、人に迎合するのでもなく、
たった1人の患者様のために・・・
自分で考え、自分で調べ、自分の意見をしっかり述べ、反応を受け止めることも
常日頃から求められ、訓練されてきました。

それらは20年以上経った今も、私の根幹になっています。


ミネソタ看護学を専攻して帰国した先生には、卒業研究の指導官としてもお世話になりました。

当時、看護学の研究論文は国内にあまりなかったため、必要な論文を海外から入手しなくてはならなかったのですが、
そのときも手続きだけでなく、訳に困ったら教えてくださったりもしました。

アポイントメントの時間に研究室にうかがうと、大量の文献や書物の奥から
オックスフォードタイプの靴音をカツカツ鳴らして出迎えてくださいました。

私が大阪に就職し、現実と理想のギャップに悩んでいたときは
「大阪に来たのよ〜〜。晩御飯でも一緒にどう?」と声をかけてくださり、しゃぶしゃぶをごちそうしてくださいました。

結婚し京都に来てからは・・・総合病院で働きながら研究をするのに文献探しが難しいことを話すと、当時神戸の看護大学の学長をされていた先生は、
「こっちに来たらいいわよ。司書さんに伝えておくから」と、道をつくってくださいました。

とにかく潔く、歯に衣着せない物言いをして、常に凛とした方でした。

「あなたね、泣いてばかりいないで、あなたのやるべきことをやりなさい。」

先生に天国から、そう言われそうです。

私が私の望むナースになっていくのに、中西先生の存在はとても大きなものだったし
先生から看護を学べたことは、今も私の誇りです。

私たち学生は、先生から言葉にしえない大切なものを受け継いだのだから、
先生への敬意と感謝を胸に、自信を持って、そして謙虚に
ナースとしても、アロマセラピストとしても、ただ1人の人間としても・・・
自分らしい人生をいきていかなくては!! ですね。

アロマも同じ。
教えていただいた先生から受け継いでいるものがある・・という自負。

それが自分を支えてくれます。

感謝の縦の帯がとても大切だということ・・・あらためて体感させていただきました。

ここからまた新しい一歩を踏み出していこうと思います。

しっかりと、自分の足で。