望み。。

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今日の晩ご飯。
ぶりの煮付け・糸こんにゃくのきんぴら・なます・いただきものの苺。
美味しかったです〜☆

今日はさらに喉が痛く、昨日以上にマジョラムのうがいとお風呂、風呂上りの精油トリートメントをしました。
家の中でもマスクをつけて。ユーカリを垂らしたマスクをしていると、とっても呼吸が楽でした♪
ありがたいな。こうして精油を使わせていただけること。

先日から・・いえ、病棟勤務をしていた頃からずっと・・答えを出せない疑問がありました。
一昨日、ちょっとだけ・・てんてん先生に話したら、先生がポロッと言ってくださった言葉を聞いたら・・なんだか納得できて、答えが出た気がしました。

たとえば病棟で看護師をしていると、患者様やご家族に治療法を選択していただく場面に立ち会うことが多く、
その中には延命処置をどうするか・・とか、ご自分ではお食事を飲み込む力が弱った方に胃婁をつくるか・・衰弱はするだろうけど自然な経過の中でケアするか・・
といったこともあります。

その場では決められないことが殆どだから、後で相談されることも多くありました。

私個人の価値観では・・・家族がどうしたいか。よりも、ご本人がどう生きたいと願っているかを優先しては?というのがあり、
しんどい想いをさせても軽快するのでないなら、自然の流れに添っていっては・・?
と思っていました。

実際、母が胃がんの末期であったときもそうでしたし、
愛犬みかんの具合が悪くなってからも、みかんが欲しがるときに欲しがるものをあげて・・そばにいる。。というケアをさせていただいていました。

それでも・・・母やみかんが旅立ったとき・・後悔はみじんもなく、感謝で満たされていました。

ところが世の中には、「どうしてここまで出来るんだろう?」と思うくらいに手厚いケアをしている方もたくさんいらっしゃいます。

私は・・・今までの私には・・・
「それで・・お互いが・・幸せなのだろうか・・・」という疑問を持っていました。

そして最近になって、
「私はそこまでのことをしてこなかったけど、それは心を置き去りにして・・悲しみや苦しみから逃避して・・流れに添ったふりだけをしていたのだろうか?」と考えるようになりました。

てんてん先生に言うつもりもなかったことだけど、話の流れでチョロッとそれを言ったのです。

すると先生はこうおっしゃいました。

みつえっちが心を置き去りにしているとは思わんよ。
“幸せかどうか”・・・ う〜ん・・・
幸せかどうか、っていうか・・・ 望んでいるかどうか・・かなぁ〜。。。

それから「望み」という言葉を胸に持ってすごして・・・

あぁ。。。そうか。。。私は頭では分かっていたけど、感覚ではまだ受け入れられてなかったのだな〜。と、腑に落ちつつあります。

誰にでも・どんなケースにでもあてはまる正しい選択なんてものはないのですよね。

もしあるとしたら、それは、当人たちの「魂が望む道を選んでいるか」ってことかもしれません。

ある人たちは、食事もできなくなった母に胃婁をつくっていただいて、何年もお世話を続ける・お世話をうけ続けることが、互いの魂が望んでいることかもしれず、

またある人たちは、衰弱していくのは互いに承知しつつ、好きなジュースで湿らせたガーゼで口の中を拭いたり、車椅子でお散歩したりしながら死を迎えていくことかもしれず、

それらは、どれが正しいとか、どれが素晴らしいとかは、本当に何もなくって
ただ魂からの願いを選択しているかどうか・・に尽きるのかもしれないです。

私には松山に父がいるし、
京都にも義父母がいるし、
柚子も私よりは寿命が短いと思うから、
いずれは何らかの選択をしないといけなくなるから・・・

そのときは、私が真に望んでいることは何なのかを受け入れて、選択できるようでありたいな。。と思います。
そのとき私の魂が望んでいることは、相手が何を望んでいるのか、という形で見えてくるだろうから、それを尊重できるようで・・ありたいです。


そんなことを思った今日でした。