「自分」を取り戻すチャンス☆

今日は老健施設でのお仕事の後、カウンセリングをさせていただきました〜☆


アロマやエネルギーの法則に関心があるわけでもない方でしたが、
お話を聞かせていただいた後、


「もしかしたら耳の痛いことかもしれませんが、私が思ったことを
 伝えさせていただいてもいいですか?」


とお聞きしたらOKしてくださったので、「他者は自分の鏡」ということと、その目的について、その方がお話されたことを元にお話させていただきました。


すると、とっても納得されたご様子で、エネルギーがガラッと変わり、
とてもとても軽〜〜〜〜くなられました。


本当に・・・耳の痛いことだったかと思いますが、それをしっかり受け止められた○○さんを素晴らしいなぁ〜と思いました。




「他者は自分の鏡」について、私が感じていることを言葉にしてみようと思います。



私たちは自分で自分の背中を見ることができません。
たぶん、肛門も見れませんし、うなじも見れないと思います。


このように、自分では気づけない「部分」をたくさん持っています。


ただ気づいていないだけなら大した問題にはなりませんが、
その「部分」の存在を拒否したり、認めたくないとき・・・
誰かの言動に投影して、「あいつは何て人だ!!」などと怒りや悲しみを抱き・・・心穏やかでなくなります。


そしてこれは「裁きの念(想い)」です。


おそらく世の中の戦いというものは全て、この「裁きの念」が形になっていると思います。


だから真に世界の平和を望むなら、自分自身が、自分の気づいていない「部分」を受け止め、受け入れていくのが最も効率的で確かな方法だと私は思っています。


そして「部分」を受け入れるというのは、まったく大層なことではなく、
それがあるのを「いい」とも「悪い」ともしないで、ただ、
「おーーー、こういうところ、私にもアルアル!!」と、膝を打って笑い飛ばすのでいいんだと思います。


そのとき、今まで存在を認められないでいた「部分」は、確かに存在するものとして日の目をみて、「自分」に含まれるのですよね。


「含んでいる部分」が多くなればなるほど、きっと私たちは自分のことも他人のことも裁く気持ちが少なくなって・・・幸せに近づくのだという気がします。


だから・・・
もし今、身の回りに、心の波が高くなるような人や出来事が沢山ある人は
大チャーーーーーーーンス☆ ですよね。


心がざわつく度に、相手を指差して言ってることは、そっくりそのまんま「私のこと」だと気づき、自分が光を当てないでいた「部分」を取り戻す機会がたくさんある。ってことですものね♪


私自身、そうやって・・・より大きな自分を取り戻していきたいな〜。と思っているところです。


完璧に純粋で美しく、シミ一つない状態を目指すのではなく、
たくさんあるシミを、見てみないふりするんじゃなく、
「えへっ。私、シミがいっぱいあんねん〜〜〜☆」って笑って言える・・・


そういう自分になっていけたらな〜。と思うのですよ。


それが「他者は自分の鏡」という考えを知る目的だと思ってます。


さ、明日は柚子が受診します。


懐妊してるといいな〜〜〜☆


なんとなく・・・ヒーリングしているときに下腹部に手を当てるとビリビリするし、背中や脳をヒーリングしているときよりも下腹部をヒーリングしているときの方が、柚子は委ねる感じになるから、私としては受胎しているのではないか。と思うのだけど・・・


ドキドキ〜〜〜〜〜☆


想いっきり、この「ドキドキ」を楽しみます!!


明日も、素敵な1日になりますように〜☆