心が傷つけれられるからこそ、
“Vulnerability(バルナラビリティ)”
というのは、「傷つきやすさ」とか、「弱さ」を意味する言葉です。
この言葉を知ったのは数年前。
誰もが知っているスポーツメーカーのアメリカ本社で、女性として初めて重役になったお友達が、私について「傷つくことを怖れない人」と表現してくれたのだけど、
彼女が言ったのは、
「真のリーダーに求められるのは、『傷つかない強さ』ではなく、
『傷つく弱さに寛容』であり、『弱いこと』にオープンでいることなんだよ」
ということでした。
その「傷つきやすさ」というのを、バルナラビリティって言葉で教えてくれました。
この話を聞いたとき、彼女が言う「リーダー」は、どこかのお偉いさんとか、
ぐいぐいグループを引っ張る人とか、そういうことじゃない。ってことだけは分かったのだけど、
彼女が言わんとしている「バルナラビリティ」については、よく分かっていなかったのです。
でもね、
JHASで学ぶようになり、会員さんが見たり書き込んだりできる掲示板で、いろんな姿や気づきを見せていただいてるうちに、
少しだけ・・・なんとなく・・・
「傷つくことにオープンでいる」ってことが、真の自信につながるんだな〜。
それが、バルナラビリティの大切さなのかな?
って、感じさせていただくようになってきました。
それが今日、とってもタイムリーに、
これを分かりやすく伝えてくださってる言葉に出会わせていただいたのです〜☆
不安になってしまったり、
そうなるのを、どうにかしようとしたり、
傷つかないように頑張ろうとしたり、
なかなか現実や自分の感情と向き合うのには勇気がいる方や、
そういう方のサポートを志していらっしゃる方に、
こちらのサイト(↓)を見ていただけたらいいな〜。と思い、シェアします〜☆
基調講演:「心が傷つけられるからこそ、真の価値が生み出せる」
<一部抜粋>
Brené さんは非常にはっとさせられることを口にします。
「人は誰かに拒否されたり、傷つけられてもよいと思う程度によって、
オープンであったり、優しかったり、喜びを感じたりできる。
傷つけられても伝えたいと思うのものが、
愛・喜び・クリエイティブさ、感謝だったりするのよ」
たとえば愛する子供の寝姿をみているときに、
「この子に何かがあったらどうしよう」という気持ちがわき起こることがあります。
これは
「この子に何かがあったとしても、不意を突かれて傷つきすぎないように
ある程度考慮にいれておこう」と、
Vulnerability に負けて、いま目の前にある幸せを割り引いてしまう行為なのだと Brené さんは指摘します。
逆に、愛する人が愛し返してくれない、
愛する人の安全を100%保証することなどできないと受け入れるとき、
心には現在に対する感謝や、おちつきが生まれます。
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是非、見てね。